マドリードの空港からタクシーに乗り、ドライバーにたずねました。「アトレティコとレアル、どちらを応援していますか?」カーラジオから流れるスペイン語が明らかに選手の名前を連呼していたので、ホテルまでの15分間、挨拶代わりにはちょうどよい話題だなと思い月並みな質問をしてみたのです。
「僕はレアルのソシオだよ。アトレティコ?彼らは可愛い弟分みたいなものだね、本当のライバルは、バルセロナさ。バルセロナとの戦いはまさに死闘だね。」はるばる極東から来た乗客に対して、優しい笑顔で語りかけてくれました。
監督のアルゼンチン人気質に魅せられてアトレティコを応援していた僕は沈黙しました。「弟?」…レアルサポーターは、最近力をつけてきた同じマチを二分する人気と思われたチームをライバルとも思っていなかったのです。
おりしもマドリードに到着した日は、スペインの休日、イスパニアデー。コロンブスの新大陸発見を祝う日らしいのですが、多くの人が国旗を体に巻いて闊歩しているのを見ると、この日を建国記念日と勘違いしてしまうのも頷けます。いくつものアパートの窓からも、国家に対する忠誠を誇示するかのように国旗が垂れさがっています。その実、マドリード対バルセロナに象徴される、スペイン王国対カタルーニャ自治州という対立の様子はマチのいたるところに見られ、それは彼らの日常にあるフットボールの試合会場でも同様で、あえてスペイン国旗を掲げている彼らは、カタルーニャの独立運動に対する反対の意思表示をしているかのように僕の眼には映りました。
歴史を紐解けば、実に複雑な成り立ちをしている国家です。多民族国家であるうえ、大航海時代から本土以外にもいくつも島を領有しています。北アフリカと近接するゆえ、宗教問題も避けられない話題のひとつです。そもそも国家とはなにか政治とはなにか、彼らの優しい笑顔や不甲斐ないチームに対するヤジから、この国の人々の少々複雑な自国に対する思いを感じ取れるのです。
独立を主張する側もそれに反対する側もそれぞれの必要性にもとづいて政治的主張を繰り返します。主張しなければ、生活の保障もなく自らのアイデンティティも護れないともいえる必要性です。
僕たちは、どうでしょうか。おそらくどの政党が政権を握っても、なにも変わらないでしょう。国家が間違いをおかしても民衆は立ち上がらないでしょう。我慢という最大の武器に磨きをかけ、富国強兵時代からの変わらない教育で国民はつくられていくでしょう。変わらないし、国民の大半が「それでよい。」と思っているのでしょう。
それでも選挙に行きます。自分たちの歴史を考えるよい機会になりますし、「何も変わらないでもよい。」がどれだけ幸せなことかを実感することができるでしょう。後ろ髪をひかれる思いで、情熱の国をあとにするのでした。